きれいってこういうことだったのか、と腑に落ちた夜
あのメモを、もう一度開いてみてほしい
このシリーズのはじめのほうで、ひとつ宿題を出した。覚えているだろうか。
「あなたが美しいと感じた瞬間を、三つ書き出してみてほしい」。スマホのメモに残してくれた人は、今、それをもう一度開いてみてほしい。書いていない人は、今、思い出してみてほしい。あなたが「美しいな」と感じた、誰かの、どんな瞬間だったか。
そして、あのとき確かめたことを、もう一度確かめる。その三つの中に、顔の話は、いくつあったか。
たぶん、今も、ゼロだ。でも、あのときと今とでは、そのゼロの意味が、まるで違って見えるはずだ。
最初は、矛盾に見えた
シリーズのはじめ、そのメモは「矛盾」だった。
あなたは「美しさ=外見」だと信じていた。なのに、実際に美しいと感じた瞬間には、顔が写っていなかった。信じていることと、感じていることが、食い違っていた。その食い違いから、このシリーズは始まった。
そこから、長い道のりだった。他人の中に見た美しさをたどり、世間の物差しを一枚ずつ返し、鏡の中の自分を採点ではなく物語として見て、纏う空気こそが美しさだと知り、それを誰にも証明しなくていいと気づいた。一本ずつ、糸をほどくように進んできた。
そして今、もう一度あのメモを見ると、それは矛盾ではなくなっている。あのメモは、最初から答えだった。 あなたは、美しさが何かを、ずっと前から知っていた。ただ、知っていることと、信じていることが、繋がっていなかっただけだ。
きれいって、こういうことだった
腑に落ちる、というのは、たぶんこういうことだ。
きれいとは、外見の完成度のことではなかった。目の大きさでも、肌でも、体重でもなかった。きれいとは、自分を雑に扱わない人が纏う、あの空気のことだった。席を譲る動き、傘の角度、夢中な横顔、機嫌のいい佇まい、丁寧に淹れたお茶。あなたが人生で美しいと感じてきたものは、全部、そこにあった。あなたの身体は、ずっとそれを正しく検出していた。
そしてその美しさは、買ってくるものでも、生まれ持つものでもなく、育てるものだった。自分への態度を変えれば、今日から纏えるものだった。証明する相手はいらず、断言する必要もなく、年を重ねるほど深まっていくものだった。——きれいって、こういうことだったのか。この一文にたどり着くための、シリーズだった。
それだけで、十分に美しい
最後に、このメディアがずっと大切にしてきた一文を、あなたに渡したい。
自分が好きな自分でいること。それだけで十分に美しいと、自分が知っていること。
「自分が好きな自分」は、理想の自分ではない。今の自分の延長線上にいる、少しだけ機嫌のいい自分だ。すっぴんから目をそらさず、コンプレックスを敵から外し、鏡の前で「悪くないな」と言える、その自分。それだけで、十分に美しい。そして肝心なのは、その美しさを、他の誰でもなく、あなた自身が知っている、ということだ。
誰かに認めてもらう必要はない。「あなたは美しい」と言われるのを待つ必要もない。あなたが知っていれば、それでいい。知っている人は、待たなくてすむ。待たない人の空気は、静かで、満ちていて、美しい。そういう人のところに、いつか、まるごと受け取ってくれる誰かが来る。来たときに、あなたは受け取れる。準備は、もうできている。
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メモを、消さないでおく
これで、「美しさを問い直す」旅は、おしまいだ。
あのメモは、消さないでおいてほしい。あれは、あなたが最初から美しさを知っていたことの、証拠だ。そしてこれから、鏡の前で自分を採点しそうになった夜には、あのメモを開けばいい。そこに、あなたの本当の物差しが、書いてある。
きれいって、こういうことだった。 もう、外に探しに行かなくていい。あなたの、自分への態度の中に、ずっとあった。
今日の鏡の中のあなたに、一言だけ。——悪くないよ。それで、十分に美しい。