美しさの基準を、自分に返してもらった
いつから、この物差しを使っていたんだろう
ふと、考えたことがある。
「痩せているほうが美しい」「肌は白くてなめらかなほうがいい」「目は大きいほうがいい」。あなたが自分を測るときに使っている、この物差し。これを、いつ自分で選んだんだろう。
思い出せない。気づいたときには、もう持っていた。雑誌で、テレビで、友達との会話で、なんとなく刷り込まれて、いつのまにか「自分の基準」として使っていた。一度も、「私はこの基準に同意します」とサインした覚えはないのに。借りたまま返し忘れていた物を、何年も使い続けていたような感覚だった。
借り物の物差しで、測り続けていた
このシリーズは、その借り物の物差しを、一枚ずつ返してきた。
「かわいい」の中身をほどき、広告の設計を見抜き、パーソナルカラーの正解表を相対化し、「老ける」という翻訳を疑い、「美は武器」の比喩を手放した。全部、外から借りた物差しだった。返していくうちに、あなたは気づいたはずだ。借り物を返すと、手ぶらにはならない。ちゃんと、自分の物差しが残る。
自分の物差しとは、鏡の前のときめきだ。今朝のリップが「いいな」と思えるか。この服を着た自分に、胸が動くか。それは他人には判定できず、あなたにしか測れない。ずっと前から持っていたのに、借り物の物差しの下に隠れて、使われていなかった物差しだ。基準を、自分に返してもらった。 正確には、返してもらったのではなく、もともと自分のものだったと、思い出した。
自分の物差しは、自分で決めていい
これは、このメディアが繰り返し言ってきたことでもある。私の物差しは、私が決めていい。
他人の物差しには、終わりがない。相場が動き、上には上がいて、いつまでも「足りない」が続く。でも、自分の物差しには、着地点がある。今朝ときめいたなら、その瞬間に合格。誰かと比べる必要も、平均を上回る必要もない。基準が自分の中で完結しているから、外の相場に振り回されずにすむ。
もちろん、自分の物差しを使うのは、最初は少し不安だ。「これでいいのかな」「みんなと違うかも」という声がする。それは長年、他人の物差しに頼ってきた反動だ。でも、使っているうちに、だんだん精度が上がってくる。自分が本当に何にときめくのか、何が心地いいのか、少しずつ分かってくる。物差しは、使うほど、自分の手に馴染んでいく。
返却は、自由になることだ
物差しを自分に返すと、世界の見え方が変わる。
流行の顔でなくても、標準体型でなくても、平気になる。それらは他人の物差しの目盛りであって、あなたの物差しの目盛りではないからだ。SNSで完璧な誰かを見ても、「あの人はあの人の物差しで、私は私の物差しで」と、静かに分けられる。比較の刃が、鈍くなる。これは、大げさに言えば、自由になるということだ。
そして、自分の物差しで生きている人は、美しい。層①で確認した通りだ。自分の基準で選んでいる人の佇まいには、静かな自信がある。あなたは今、その佇まいの入口に立っている。借り物を返し終えて、自分の物差しを握り直したところに。
✦ ✦ ✦
自分の目盛りで、一つ測る
あなたが自分を測ってきた物差しは、借り物だった。返却すれば、もともと持っていた自分の物差し——ときめき——が残る。
今日、何かを選ぶとき、一回だけ、自分の物差しだけで測ってみてほしい。「みんながいいと言うか」ではなく、「私がときめくか」。服でも、飲み物でも、なんでもいい。
その一回が、借り物ではなく自分の目盛りで生きる、練習になる。使うほど、その物差しは、あなたの手に馴染んでいく。
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