私の顔は、私の歴史だと思えた日
ある日、ふと、鏡の中の自分の顔を見て、母の顔を思い出した。
目もとの感じが、母によく似ている。昔は嫌だった、この一重に近い奥二重も、笑うと少しだけ下がる目尻も、間違いなく母から受け継いだものだ。子どもの頃は気づかなかった。でも、30を過ぎて、母が私くらいの歳だった頃の写真を見たとき、鏡の中の自分と、あまりに似ていて、少しだけ胸が詰まった。
その日から、自分の顔の見え方が、ほんの少し変わった。いつもは、気になる箇所を探す採点の対象でしかなかった顔が、なんだか、別のものに見えてきた。ここは母から。この笑いジワは、たぶん、よく笑ってきたから。この小さな傷は、子どもの頃に転んだやつだ。
顔が、採点表ではなく、私の歴史に見えた日だった。
顔を、ずっと「減点対象」として見てきた
私たちは、自分の顔を、あまりに長いあいだ、点数として見てきた。
目が小さい。鼻が低い。輪郭が丸い。シミが増えた。ほうれい線が気になりだした。鏡を見るたびに、こうした「マイナス項目」を数えあげ、理想の顔から、どれだけ引かれているかを計算する。顔は、いつも「本当はこうであってほしいのに、そうなっていない場所」だった。だから、見るたびに、少し落ち込む。
この見方の中では、加齢は、ただの劣化になる。笑いジワは、消すべきもの。目尻の下がりは、直すべきもの。年を重ねるということは、点数がどんどん引かれていく、下り坂の道でしかない。だから、鏡を見るのが、だんだんこわくなる。顔を採点対象として見ているかぎり、生きて年を重ねることは、美しさを失っていくことになってしまう。
でも、それは、ずいぶん寂しい見方だ。あなたの顔は、あなたが生きてきた時間の、たった一つの証なのに。それを、減点表としてしか見られないなんて。
顔は、あなたが生きてきた記録だ
視点を、少しだけ、動かしてみてほしい。
あなたの顔にある「気になる箇所」は、本当に、ただの欠点だろうか。
笑いジワは、あなたがたくさん笑ってきた証だ。眉間の縦ジワは、真剣に何かを考えたり、悩んだりしてきた時間の記録だ。日に焼けたあとのそばかすは、どこかへ出かけた夏の名残かもしれない。目もとが母に似ているのは、あなたが誰かから受け継がれて、ここにいるという事実そのものだ。あなたの顔は、白紙の採点用紙ではない。あなたが生きてきた年月が、一つずつ書き込まれた、あなただけの記録なのだ。
こう見たとき、顔は、急に、愛おしいものになる。減らされていく点数ではなく、増えていく物語。年を重ねるごとに、記録は分厚くなる。笑いジワが深くなるのは、それだけ多く笑ったから。表情が豊かになるのは、それだけ多くを感じてきたから。
思い出してみてほしい。小さな子どもは、大人の顔を見て、「老けてる」なんて思わない。シワも、シミも、採点しない。ただ、「よく笑う顔」「やさしい顔」「怒ると怖い顔」として、その人を丸ごと覚えている。子どもが見ているのは、造作の点数ではなく、その顔が浮かべてきた表情の、総体だ。つまり、いちばん先入観のない目は、顔を採点していない。顔を、その人そのものとして見ている。
いつから、私たちは、自分の顔を「点数」で見るようになったのだろう。たぶん、どこかで、他人の採点表を、自分の目に取り込んでしまった。だとしたら、それを、手放すこともできるはずだ。子どもが人の顔を見るように、自分の顔を、点数ではなく、物語として見る。あなたの顔が浮かべてきた、たくさんの表情の総体として、自分を眺めてみる。
これは、加齢を無理にポジティブに言い換える、気休めではない。事実として、あなたの顔には、あなたの歴史が刻まれている。それを「劣化」と呼ぶか、「歴史」と呼ぶか。ただ、それだけの違いだ。そして、どちらの言葉を選ぶかで、鏡の前に立つあなたの表情は、まるで変わってくる。
採点をやめると、顔が物語になる
顔を歴史として見られるようになると、鏡との関係が、根本から変わる。
採点していたときは、顔は「敵」だった。理想に届かない、いつも自分を落ち込ませる、目をそらしたい相手。でも、歴史として見ると、顔は「連れ添ってきた相棒」になる。ここまで一緒に生きてきた、いちばん古い付き合いの相手。欠点だと思っていたものが、一緒に過ごした時間の証に変わる。
もちろん、これは、シミやシワを歓迎しなさい、という話ではない。気になるなら、ケアをすればいい。日焼け止めを塗るのも、いい化粧品を使うのも、自分を大切にする、立派な行為だ。外見を楽しむことを、否定する必要はまったくない。ただ、その手入れの動機が、「劣化を食い止めなきゃ」という焦りなのか、「この顔を、大事にしたいから」という愛着なのか。そこが、まるで違う。
焦りからのケアは、自分を敵として扱う。愛着からのケアは、自分を味方として扱う。そして、後者の態度は、必ず、纏う空気に滲み出る。自分の顔を、歴史として、物語として、愛おしく思っている人。その人の表情には、採点に追われている人には出せない、静かな余裕がある。
顔の造作が、美しさを決めるのではない。自分の顔を、どんな目で見ているか。それが、その人の美しさを決める。
「老ける」という言葉の、置きどころ
顔を歴史として見はじめると、「老ける」という言葉との付き合い方も、変わってくる。
私たちは、この言葉を、あまりに一方的に、悪いものとして使っている。老けた、老けて見える、老け顔。どれも、劣化を告げる警告のように響く。だから、加齢のサインを見つけるたびに、心が、ひやりとする。「若い頃の顔」を満点として、そこからどれだけ減ったかを、いつも数えている。
でも、若い頃の顔を満点に据えるのは、誰が決めたルールだろう。二十歳の顔が最高点で、そこから下り坂——そんな採点表を、あなたは、本当に信じているだろうか。変化を「劣化」と呼ぶのも、「深まり」と呼ぶのも、結局は、あなたがどの物差しを使うか、という話でしかない。表情の乏しいつるりとした若さより、いくつもの表情を刻んだ顔のほうを、美しいと感じる瞬間が、あなたにもきっとあるはずだ。
もちろん、加齢に、寂しさがまったくないと言うつもりはない。変わっていくものを見て、ふと立ち止まる夜も、ある。それを、無理に喜べとは言わない。ただ、「老けた」と自分を責める前に、「これは、私が生きてきた分の記録だ」と、言葉を一つ、置き換えてみてほしい。同じ顔が、責める対象から、いとおしむ対象に変わる。
歴史は、消せない。そして、消す必要もない。あなたの顔に一つずつ増えていく記録は、あなたが、確かにここまで生きてきたという、何よりの証だ。それを恥じる理由は、どこにもない。
✦ ✦ ✦
今夜、鏡の前に立ったら、あなたの顔の中に、「歴史」を一つ、探してみてほしい。
いちばん気になっている箇所でもいい。笑いジワでも、シミでも、母に似た目もとでもいい。それを、減点対象としてではなく、「これは、私が生きてきた記録だ」という目で、もう一度、見てみる。この線は、いつからあるだろう。何を思って、何を笑って、ここまで来ただろう。
すぐには、愛おしく思えないかもしれない。それでもいい。ただ、「これは欠点だ」から「これは記録だ」へ、言葉を一つ、置き換えてみる。それだけで、鏡の中の顔の温度が、少し変わる。
あなたの顔は、直すべき採点用紙ではなく、あなたが確かに生きてきたことの、いちばん正直な証だ。
十年後、あなたの顔には、また新しい記録が刻まれているだろう。それを、あなたは、どんな目で見ていたいだろうか。
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