鏡を見るのが嫌いなわけじゃない。好きになれないだけだ
朝、洗面台の前に立つ。
寝起きの顔。むくんだまぶた。昨日より少し荒れた肌。前髪が変な方向に曲がっている。
ため息をつく暇もなく、化粧を始める。下地を塗る。コンシーラーでクマを消す。ファンデーションで肌を整える。眉を描いて、アイラインを引いて、マスカラを塗る。
ここまでやって、もう一度鏡を見る。
さっきよりマシにはなった。「マシ」。この言葉が自然に出てくる。「きれい」でも「かわいい」でもなく「マシ」。自分の顔を見て出てくる最上級の感想が「マシになった」であることに、もう慣れてしまっている。
この記事は、鏡の中の自分に「まあこんなもんか」としか思えない人に向けて書いています。
「ブスではない」という自己評価
自分の顔が嫌いか、と聞かれると、答えに困る。
嫌いではない。嫌いだったら毎朝30分もかけて化粧なんてしない。完全に諦めているわけでもない。新しいアイシャドウを買えば少しだけ気分が上がるし、美容院のあとは悪くないなと思う。
でも「好き」とは言えない。
自分の顔に対する評価は、いつも消去法だ。
「目は一重だけど、まあ小さすぎるわけではない」 「鼻は高くないけど、特別低くもない」 「肌は綺麗なほうではないけど、荒れてるわけでもない」
全部「〇〇ではないけど、〇〇でもない」。良いところを見つけているのではなく、悪くないところを確認している。「マイナスではないこと」が自分に出せる最高の評価になっている。
これは、外見に限った話ではないかもしれない。
仕事も「ダメではないけど、特別できるわけでもない」。性格も「嫌な人ではないけど、面白い人でもない」。
全部の自己評価が「最悪ではない」で止まっている。プラスの領域に一度も踏み込めない。ゼロより上に行けない。
「もう少し」が終わらない理由
自分の外見に対する不満を数えてみると、きりがない。
太ももがもう少し細ければ。二の腕がもう少しすっきりしていれば。肌がもう少し綺麗なら。まつげがもう少し長ければ。唇がもう少しぷっくりしていれば。
一つ一つは小さい。美容整形を考えるほどではない。でも全部を合わせると「もっと良くなれるはずなのに、なれていない自分」が浮かび上がる。
そしてこの「もう少し」には不思議な性質がある。一つ解決しても、次の「もう少し」が現れる。
ダイエットして3キロ痩せた。嬉しかった。でも一週間もすると、今度は「あと2キロ」が見えてくる。肌荒れが治った。よかった。でもそうなると毛穴が気になり始める。
満足する瞬間が、一瞬で消える。
これは意志が弱いからでも、欲張りだからでもない。「足りない」を動力にしている限り、満足に到達できない構造になっているからだ。
「足りないから直す」を繰り返しているうちは、視線が常に「足りない部分」に向かっている。一つ直すと、次の「足りない」にピントが合う。ピントがそこに合っている限り、「これでいい」に到達する日は来ない。
永遠に工事中の建物みたいなものだ。一つの階が完成しても、すぐに次の階の足場が組まれる。完成の日がいつまでも来ない。
「きれいになりたい」の中身を分けてみる
ここで、一つ丁寧に分けたいことがある。
「きれいになりたい」という気持ちには、二種類ある。
一つは、「足りないから埋めたい」。
太ももが太いからダイエットする。肌が荒れているからスキンケアを変える。目が小さいからメイクで大きく見せる。動力は欠乏感だ。「今の自分には欠けている部分がある。それを補わなければ」。
もう一つは、「もっと好きになりたいから磨く」。
このリップを塗った自分がもっと見たい。このスカートを履いたときの気分が好きだからもう一着欲しい。肌の調子がいい日の自分が好きだから、スキンケアを丁寧にやりたい。動力はときめきだ。「今の自分を起点にして、もっとときめく方向に進みたい」。
やっていることは同じに見えるかもしれない。どちらもダイエットするし、スキンケアするし、メイクを研究する。
でも動力が違うと、結果が全然違う。
欠乏感が動力だと、さっき書いたように永遠に「もう少し」が続く。どこまでやっても足りない。
ときめきが動力だと、プロセス自体が楽しくなる。結果が出ても出なくても、「この色を試すのが楽しい」「自分の肌に触れる時間が好き」というように、やっていること自体に意味がある。
PRIELLEが「自分軸の自己改善は応援する」と言っているのは、後者のことだ。きれいになることを否定しているのではない。きれいになる動力が「足りないから」なのか「ときめくから」なのか、そこだけを見てほしいと言っている。
あなたの顔を「データ」として見ていないか
もう一つ、大事な話をさせてほしい。
あなたは鏡を見るとき、自分の顔をどう見ているだろう。
目の大きさ。鼻の高さ。輪郭の形。パーツの配置。肌の質感。左右の対称性。
これはつまり、自分の顔を「データ」として見ているということだ。
スペックシートを読むように顔をチェックしている。各パーツの数値を確認して、平均値と照合して、足りない項目にチェックを入れている。
この見方をしている限り、自分の顔を好きになることは難しい。なぜなら、データで見ている限り、どこかに必ず「平均より劣る」項目が見つかるからだ。完璧なスペックシートを持っている人間なんていない。
でも、好きな人の顔を思い浮かべてみてほしい。友達でも、家族でも、好きな俳優でもいい。
その人の顔を思い出すとき、鼻の高さや目の大きさを数値で思い出すだろうか。
たぶん違う。「笑ったときの目の細まり方」とか、「考えごとをしているときの口元」とか、「嬉しいことがあったときの頬の感じ」とか。動きのある、表情のある顔を思い出すはずだ。
つまり、好きな人の顔はデータではなく表情で記憶されている。
あなたの顔も、他人からはそう見えている。目が何ミリとか、鼻が何度とか、そんなことを見ている人はいない。あなたが話しているときの表情、笑ったときの空気、考えごとをしているときの横顔。そういう「動いている顔」を見ている。
あなただけが、自分の顔を止まった画像として、データとして見ている。
鏡の中の自分と、目の前にいるあなたは違う
ここに、面白い事実がある。
鏡に映った自分は、左右が反転している。写真に撮ると「なんか違う」と感じるのは、見慣れた鏡像と実物が微妙に違うからだ。
つまり、あなたが毎朝チェックしている「鏡の中の自分」は、他の人が見ている自分とは少し違う。あなたは一度も、他の人が見ているあなたを直接見たことがない。
これは物理的な話であると同時に、もっと深い話でもある。
あなたは自分の表情を、自分では見ることができない。 鏡の前では「鏡を見ている顔」しか映らない。 友達と笑い合っているときの顔、仕事に集中しているときの顔、好きなものを食べているときの顔——それらは全部、他人だけが見ることができて、あなたには見えない。
そして、その「あなたには見えない顔」こそが、あなたの一番いい顔だったりする。
鏡の前で作った笑顔よりも、何かに夢中になっているときの無防備な表情のほうが、ずっと魅力的だ。それは作れない。計算できない。だからこそ、そこにその人らしさが出る。
あなたが鏡の前で採点している顔は、あなたの顔のほんの一部分でしかない。しかも、たぶんいちばんつまらない一部分だ。
「褒められたこと」を思い出してみる
一つ、試してみてほしいことがある。
過去に、外見について褒められたことを思い出してみてほしい。
「肌きれいだね」でも「その髪型似合うね」でも「笑うと雰囲気変わるね」でもいい。些細なことでいい。
思い出せただろうか。
では、そのとき、あなたはどう反応しただろう。
おそらく「そんなことないよ」と言ったはずだ。
ここで気づいてほしいのは、褒められた事実を、あなた自身が却下しているということだ。
相手はあなたの顔を見て、実際に「きれいだ」「似合う」と思ったから言った。でもあなたはその評価を受け取らず、自分のデータシートの評価を優先した。「いや、私の肌はここが荒れてるし」「いや、この髪型にしたのは毛量をごまかすためだし」。
相手の目に映ったあなたと、あなたの目に映ったあなたが食い違っているとき、あなたはいつも自分の目のほうを信じている。
でも、どちらが正しいのだろう。データで自分をチェックしているあなたの目と、表情で動いているあなたを見ている相手の目と。
少なくとも、相手の目が嘘をついているわけではない。
次に誰かに褒められたとき、反射的に否定する前に、1秒だけ「そうかもしれない」と思ってみてほしい。受け入れなくてもいい。ただ、即座に却下するのをやめるだけでいい。
「悪くないな」は、十分に美しい
PRIELLEが描く美しさは、外見の完成度ではない。
何度でも書く。美しさとは、自分を認めた人だけが纏える空気のことだ。
その空気は、目の大きさや鼻の高さとは関係ない。体重とも、肌質とも、服の値段とも関係ない。
自分の顔と体を「これが私だ」と認めている人には、独特の落ち着きがある。自分を大きく見せようとしない。隠そうとしない。データシートの点数を気にしない。ただ、自分の輪郭をそのまま纏っている。
それは、パーツが整っていることよりもずっと目を引く。
あなたに求めているのは、鏡の前で「私って最高」と思うことではない。そこまで行かなくていい。
朝、化粧を終えて鏡を見たとき、「マシになった」ではなく、「悪くないな」と思えること。
この「マシ」と「悪くないな」の間にある距離は、たったひと言分だ。でもそのひと言の中に、自分への態度の転換がある。
「マシ」は、ダメなものが少し改善されたという評価だ。出発点がマイナスにある。
「悪くないな」は、今の自分を眺めて出てくる感想だ。出発点がゼロにある。
ゼロでいい。プラスでなくていい。マイナスから出発するのをやめるだけで、鏡の前の時間はずいぶん変わる。
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明日の朝、化粧を終えたあと、いつもより2秒だけ長く鏡を見てみてほしい。
パーツを一つずつチェックする目ではなく、顔全体をぼんやり眺める目で。
データとしてではなく、「今日の私」として。
その2秒の間に、「悪くないな」と思えたら。思えなくても、「マシ」の代わりに何も言わないことを選べたら。
それだけで十分だ。
あなたが鏡の中の自分を「これが私だ」と受け止められたとき、その鏡に映っている顔は、たぶん少しだけ柔らかくなっている。眉間の力が抜けて、口元がほんの少し緩んでいる。
その顔が、あなたのいちばんいい顔だ。 そしてそれは、スペックシートのどこにも載っていない。