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マインドセット STEP4

姿勢がいい人の美しさは、背筋の話じゃない

 姿勢がいい人の美しさは、背筋の話じゃない

カフェで、少し離れた席に座っている人に、ふと目を奪われたことがある。

特別に顔立ちが整っているわけでも、華やかな服を着ているわけでもなかった。ただ、その人の座り姿が、きれいだった。背筋がすっと伸びて、カップを持つ手も、ページをめくる指先も、どこか丁寧だった。派手なことは何もしていないのに、その一角だけ、空気が違って見えた。「ああ、きれいな人だな」。そう思って、それから自分の、背中の丸まった座り方に気づいて、そっと姿勢を直した。

姿勢がいい人は、美しく見える。それは、誰もが知っている。でも、その美しさの正体を、「背筋が伸びているから」で片づけてしまうと、たぶん、大事なところを見落とす。

あの人の美しさは、本当に、背筋の角度の話だったのだろうか。


姿勢は、自分への扱い方が出る場所

姿勢というのは、不思議な場所だ。意識すれば直せるのに、意識を外すと、すぐにその人の「素」に戻る。だから、ふとした瞬間の姿勢には、その人が普段、自分をどう扱っているかが、そのまま出る。

自分を雑に扱っている人は、身体も、どこか雑に置いている。背中を丸めて、椅子に沈み込むように座る。スマホを覗き込んで、首が前に落ちる。それは、だらしないという話ではない。自分の身体を、大切なものとして扱っていない、という態度が、姿勢に表れているのだ。「どうせ私だし」「見られてないし」——そういう、自分への小さな諦めが、背中の丸まりになる。

逆に、自分を丁寧に扱っている人は、身体も、丁寧に置く。背筋を伸ばすのは、人に見せるためではない。自分の身体を、ぞんざいに扱いたくないから、自然とそうなる。この人にとって、自分の身体は、雑に放り出していい荷物ではなく、大切に連れ歩く相棒なのだ。その扱い方が、座り姿に、立ち姿に、静かに滲む。

だから、姿勢がいい人が美しく見えるのは、背筋が何度傾いているかの話ではない。自分を雑に扱わない、という態度の、輪郭が見えているのだ。私たちは、その輪郭に、美しさを感じている。


「見られるための姿勢」は、なぜか美しくない

ここで、面白いことがある。同じ「背筋を伸ばす」でも、美しく見えるときと、そうでないときがある。

たとえば、写真を撮られる直前に、慌てて背筋を伸ばして、お腹をへこませる。あの姿勢は、なぜか、美しく見えない。むしろ、少し不自然で、硬い。理由は、はっきりしている。その姿勢は、「よく見られたい」という緊張から来ているからだ。人の目を意識して、一時的に、身体を「正解の形」に押し込んでいる。そこには、余裕がない。

一方で、あのカフェの人の姿勢には、余裕があった。誰に見せるでもなく、自然にそうしていた。人の目のためではなく、自分の心地よさのために、背筋が伸びていた。他人のために整えた姿勢は硬く、自分のために整えた姿勢はやわらかい。そして、私たちが美しいと感じるのは、いつも、後者のほうだ。

これは、姿勢だけの話ではない。人の目を基準に自分を整えると、どこか緊張が残る。自分の心地よさを基準に整えると、そこに余裕が生まれる。その余裕こそが、纏う空気の、やわらかさになる。美しさは、正しい形の中にではなく、その余裕の中に宿る。


「雑に扱う」は、こんなに日常に潜んでいる

自分を雑に扱う、と言われても、ぴんと来ないかもしれない。でも、それは、特別なことではなく、驚くほど日常の細部に潜んでいる。

コンビニで買ったおにぎりを、立ったまま、5分で流し込む。休みの日、一度も着替えずに、部屋着のまま一日を終える。疲れているのに、スマホを見ながら夜更かしして、翌朝ぐったりする。「自分ひとりだし、どうでもいいや」と、食事も、身支度も、休息も、後回しにする。——これらは全部、自分の身体を、ぞんざいに扱っている瞬間だ。

誰かのためには、ちゃんとするのに。人が来るとなれば、部屋を片づけ、身なりを整え、ちゃんとした食事を出す。でも、自分ひとりのときは、その丁寧さを、あっさり省いてしまう。自分を、「丁寧に扱うに値しない相手」として、扱っている。この積み重ねが、じわじわと、その人の佇まいを、雑にしていく。

姿勢は、その氷山の一角だ。背中の丸まりの奥には、「自分ひとりくらい、どうでもいい」という、無数の小さな諦めがある。だから、姿勢を直すというのは、本当は、その諦めに、ひとつずつ「そんなことないよ」と返していく作業でもある。


自分への態度は、必ず外に滲む

ここまで読んで、気づいた人もいるかもしれない。この話は、姿勢に限らない。あなたが自分に向けている態度は、姿勢に、表情に、声のトーンに、選ぶ服に、必ず外へ滲み出す。隠そうとしても、隠しきれない。自分を大切にしている人と、自分を雑に扱っている人は、黙って立っているだけで、どこか違って見える。

これは、PRIELLEが「纏う空気」と呼んできたものの、正体でもある。美しさは、造作の完成度ではなく、自分への態度が、外側に滲み出たもの。姿勢は、その滲み出しが、いちばん目に見えやすい場所だというだけだ。だから、姿勢を入り口に、自分への態度そのものを、少しずつ変えていける。

背筋を伸ばすことは、その第一歩になる。念じるより、まず、身体を丁寧に置いてみる。


背筋を伸ばすことから、態度が変わることもある

とはいえ、こう思う人もいるだろう。「態度が先だと言うけれど、そんなにすぐ、自分への扱い方なんて変わらない」と。その通りだ。だから、逆から入っても、いい。

自分を大切にする気持ちが、まだよくわからなくても、背筋を、ひとつ伸ばしてみる。歩くときに、少しだけ、顔を上げてみる。それは、内側の態度が変わるのを待たずに、外側から、自分への扱い方を一つ、変える行為だ。身体を丁寧に置くという、小さな実践。「自分を大切にしよう」と念じるより、背筋を一度伸ばすほうが、ずっと具体的で、ずっと早い。

そして、身体は、心につながっている。背筋を伸ばすと、呼吸が深くなる。呼吸が深くなると、少し落ち着く。落ち着くと、自分を責める声が、ほんの少し、静かになる。外側の姿勢が、内側の態度を、そっと引き上げる。そういうことが、実際に起きる。

だから、姿勢は、内側の態度の「結果」でもあり、内側の態度への「入り口」でもある。どちらから入ってもいい。大事なのは、自分の身体を、大切なものとして扱いはじめること。その態度が、めぐりめぐって、あなたの纏う空気になる。


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今日、ふとした瞬間に、自分の姿勢に気づいてみてほしい。パソコンに向かう背中。電車で立っているときの首。スマホを見るときの、うつむき方。

そこに気づいたら、責めなくていい。「だらしない」と自分を叱る必要はない。ただ、背筋を、すっと一度、伸ばしてみる。それは、「私は、自分の身体を、雑に扱いたくない」という、小さな意思表示だ。誰に見せるためでもなく、自分のために、身体を丁寧に置く。

一度伸ばした背筋は、またすぐ丸まるだろう。それでいい。気づくたびに、また伸ばす。その繰り返しが、少しずつ、自分への扱い方を変えていく。

あなたが自分の身体を大切に置くとき、その輪郭を、まわりは「美しい」と呼ぶ。

あなたは今、自分の身体を、どんなふうに置いているだろう。それは、大切なものへの扱い方に、なっているだろうか。

PRIELLE編集部

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