「好き」と言われても信じられない理由
「好きだよ」
彼がそう言ってくれたとき、嬉しいはずだった。
でも嬉しさよりも先に、別の感情がやってくる。「本当に?」「どこが?」「いつまで?」。好きだと言われた瞬間から、その言葉を疑い始めている自分がいる。
「お世辞じゃないだろうか」
「他にいい人がいないだけじゃないだろうか」
「私のことをよく知らないから好きなだけで、もっと知ったら冷めるんじゃないだろうか」
好きだと言われて安心するどころか、むしろ不安が増す。おかしな話だ。
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「好き」を信じられない人は、相手を疑っているのではない。
自分を疑っている。
「こんな私を好きになるはずがない」——この前提が心の深いところにあるから、相手の「好き」が入ってこない。入口が閉じている。
相手がどれだけ誠実に伝えても、こちらの受信機が「ありえない」と判定して弾いてしまう。証拠は目の前にあるのに、「証拠不十分」として却下し続ける。
これは受け取り方の問題であり、もっと言えば、自分に対する信頼の問題だ。
自分が「好かれるに値する存在だ」と思えていれば、「好き」はすんなり入ってくる。でもその信頼がないから、「好き」は常に疑惑の対象になる。
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「好き」を信じられないことの本当のツラさは、疑い続けること自体のツラさだけではない。
相手にも、影響が出る。
「好き」と言ったのに信じてもらえない。何度伝えても疑われる。それが続くと、相手は次第に「何を言っても無駄なのか」と感じ始める。伝える気力を失っていく。
そしてあなたは、相手が「好き」と言わなくなったことを新たな証拠にして、「やっぱり」と結論づける。
自分で作り出した予言が、自分で成就してしまう。最も悲しい循環がここにある。
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「好き」を信じる練習は、相手を信じる練習ではない。自分を信じる練習だ。
次に「好きだよ」と言われたとき、疑いが浮かんでも構わない。浮かんだまま、一つだけやってみてほしいことがある。
「ありがとう」と返すこと。
信じられなくてもいい。「本当に?」と思ったままでいい。ただ「ありがとう」とだけ返す。否定も質問もしない。
その「ありがとう」は、相手の「好き」を受け取る最初の器になる。
器は最初から大きくなくていい。「ありがとう」の三文字分の大きさでいい。
そこから少しずつ、「好かれてもいい自分」を育てていけばいい。